差別とは何ですか

さっきニュースサイトを巡回してたら、こんな記事を見つけた。

服脱がせ水かける…小6女児4人が障害児にいじめ

 神奈川県横須賀市の市立小学校で知的障害のある6年生の女子児童が、同学年の女児4人にトイレで衣服を脱がされ、水をかけられるいじめを受けていたことが31日、分かった。

 いじめをした児童や保護者、担任、校長が被害者と母親に謝罪した。同市教育委員会は「立場の弱い障害児を狙った非常に悪質な行為」と判断、夏休み明け以降、同校に「介助員」を配置し、児童の生活面などを補助する予定だ。

 市教委によると、14日の放課後、女児4人が特別支援学級に通う女児を障害者用の個室トイレに連れ込み、衣服を脱がせて水をかけたという。同日、別の児童から報告を受けた担任教諭が事情を聞いたところ、4人が関係する被害者へのいじめは6〜7月に計5回あったことがわかった。動機について、4人はこの児童が「掃除をしなくても先生に怒られないから」などと話しているという。

 市教委では「学校が子供の様子に気配りするなどして、もう少し早く気付くべきだった」としている。
(2010年7月31日12時10分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100731-OYT1T00377.htm


伝えられている情報は限られているので、判断しづらいことは多いけど、何故このような出来事がニュースになるのだろうか。
いじめを受けていた子が障害者だったから? 弱い者いじめをしていたから?


じゃあ、このいじめは何故起こったかと考えると、記事の少ない情報量から判断するとすれば、「障害者の児童は掃除をしなくても先生に怒られないから」だという。
小学6年生で、学校に来れる程度の知的障害で、掃除をしなくても怒られないのは、理にかなっているのだろうか。
この児童の知能が年齢的にどの程度まで到達しているかは分からないけど、小学一年生ですら「掃除の時間には掃除をする」ということは把握しているだろう。
それなのに、小学六年生にもなって、掃除すらしなくてもいいのは教育的におかしいのではないかと思う。それこそ逆差別であると思う。


保険をかけておくけど、僕はこの児童の障害の程度を知らない。
掃除が出来ない程度の障害レベルであるかもしれない。その場合に、その事が先生によっていじめた側の児童に予め知らされており、それでもいじめ側がその事を理解しようとしなかったならば、いじめ側が悪い。
しかし、より軽度の障害で、掃除が出来る程度であれば先生の「えこひいき」だし、障害が軽度でなくとも先生によって他の児童に周知されていなければ、それは先生の職務怠慢である。


ちょっとひねくれた見方をすれば、小学生は大人よりも公平だ。
弱肉強食であり、弱い者は蔑まれ、強い者は周りが同調する。
男子は大便に行くと盛大に冷やかされるので家に帰るまで我慢しているが、ある日リーダー格が「俺ちょっとうんこ行ってくる」なんて言うと、その瞬間から皆が大手を振って便所の個室に行くことが出来るようになる。強者による大便パラダイムシフトである。
また、先生に取り入って告げ口ばかりするような奴は、大抵皆から嫌われる。不公平だからだ。
「ずるい」ことが嫌われるのは、大抵中学校くらいまでだ。それからは、ずるいことは賢さの裏返しと取られて必ずしも非難されない。


いじめ問題に関して、重要なのはもちろんいじめを無くすことだけど、それを解決するためにはいじめの原因を考えないといけない。
単に「いじめは悪いことです。卑怯です。ダサいです。」なんて言って、いじめをした子供を叱るような対症療法では解決しないと思う。
無論、こういう点まで教育委員会が分かっている可能性もあるが、それならば「介助員」の配置がどのような影響をもたらすか想像しているのではなかろうか。
ここからはあくまで僕の想像であるが、「またあいつがえこひいきされてる。専属の大人まで引き連れて、世話してもらって、ずるい。自分たちは、自分で出来ることは全部しなきゃいけないのに」と他の児童が不満を募らせるのではなかろうか。


障害児でも、集団行動の一員とするなら、その集団のルールが守れる程度でないと周りから不満が出るのは当然で、それは抑圧すべきものではない。
それが「えこひいきされる方が得だ」という観念を生み出すし、その観念こそが差別の根源だ。
差別しないことを「差別だ」と言う人達こそ、逆差別主義者なんだろうな。