全てに疑いを持つ時間を持つ。
俺がいつもやってる大部分の人はやってなさそうなこと第一弾。
何故大部分の人はやらないかっていうと、もしかしたら思考エネルギーのロスにしかならないからだと思う。あとは毎回毎回やるのはこれが好きな人しか出来ない。
やってることはとても簡単。空いた時間に、思いついた全てに疑問を呈する。
- 何故自分は今ここにいるの?
- 何故今このブログを見ているの?
- 何故勉強するの?
- 何故自分は「考える」という行為ができるの?
- 何故自分のやりたいようにやらないの?
- 何故相手を殴りたいときに殴らないの?
で、これを疑問のままで放って置いたら暴走しかねないので応対する。
- まあ短期的に言えば家に帰って「ブログ書こうかな」と思ってパソコンつけてその前に座ったから。
- 長期的に言えば、俺がどこかで生まれてそれから奇跡的な偶然の数々によっていまだ生き延びていて、生活リズムから大体この時間帯は机に座っているから。
- 超長期的に言えば・・・
- ここでストップ。自分で「きりがなくなりそうだな」ってところでストップは必要。
- この話題が気になる人は続けてもいいけど、ほどほどにしないとぐるぐるになって逆効果。
- どうしても気になる場合は次のことを考えれば大体忘れてる。
- それは、俺が「はてな」というサービスを利用してパソコンを介してブログを書いているからであって、更に今日の記事を書いたから。
- 他にすることがあんまり見つからないからじゃないかな?後から選択肢の幅を広げられるだろうし。
- それは自分の頭の構造じゃないかな?よくわかんない。(←これで止めることも必要。分からんことは分からん。)
- 自分のやりたいようにやってたらいつの間にか自分のやりたいことが出来なくなりそうだから。
- 殴ったら反撃されるのが嫌だから。それで噂が立つのが嫌だから。
こんな感じで。
重要な点は、
- とりあえず疑問を引っ張ってくる。
- その疑問にとりあえず答えてみる。
- 回答が不十分であれば付け加える。
- 回答に対して、再度疑問を呈する。
- この時呈する疑問は多いほどいい。
- すると、回答するべき点が増える。
- 抽象的なことでも、頑張って回答を考える。
- 最終的には加速度的に増えるから、ある程度で強制終了する。
- 根拠がどうしても見つからないときは素直に「よく分からん」で止める。
- 無理をせずに自分の好きな範囲でやる。
などなど。
再度疑問を呈するのは、例えば上の「殴ったら反撃される」に、
- 何故必ず殴ったら反撃されるのか?反撃されない場合は?
と問いかける。ほとんど全てのフレーズにおいて疑問が出てくるはずだ。
これを繰り返してると、物事を多角的・再帰的に見ることが出来るような気がする。
根拠は無いので実践は自己責任で。やる人はいないと思うけど。