無になるのが怖いだけなのか

自分が死んだ後の世界に関しては凄く気にするのに、自分が生まれてくる前は何処にいたのか、あまり気にしない人が多いような気がする。


キリスト教とかだと死んだら天国か地獄に行くけど、生まれてくる前に関してはあまり語られていないような気がする。
最初がアダムとイブで、その子孫だって論調なら、つまりはアダムとイブの一部がどんどん分裂していってるようなもんだから、アイデンティティ的にはみんなアダムとイブってことなのかな?
子が生まれるってことに対して、その子が親とは別の個体なのか、遺伝子が異なるだけで精神的なものは繋がっているのか、そこは個人的に重要だと思うんだけど、実際どういう風に捉えられているんだろう。


仏教だと輪廻転生があるけど、どんどん解脱していったら現世に人がいなくなっちゃったりしないのかな。
なんか宗教批判みたいな感じになっちゃったけど、その為にエントリ書いてる訳ではなくて、興味の対象が生まれる前ではなく死んだ後に向くのは何故なのかな、と考えていた結果。


今だに自分の中で一番不思議なのは自我の存在で、なんで今自分が「考えている」「認識している」が無機的に淡々と行われるだけではなくて、「自分」が存在しているのか、よく分からない。
何十億年も昔に、たまたま自己保存・増殖のアルゴリズムが生まれて、それにより今生命体と呼ばれているものが増えているのは分かるけど、それだと別に自我は存在しなくても増えていけるわけで、なんで自分があるのか、それが本当に分からない。
そういう不思議な自我が、何も無いところから出てきたり消えたりするのだろうかとか、考えていると、生まれる前とか、死んだ後の話になる訳で。
で、冒頭の話題に戻る。
ただ「消える」ってことはないのかなぁ、でも自分が消えたらなんか困るというか、自分が消えるってどういう感じなんだろうな。
どうという感じもないのかもしれない。ただ消えるだけとか。


まあそういうこと考えるにつれ、自我を科学する方法はないものかと、無駄に模索してみたり。