忘れて思いだして

昨日掃除してたら紙日記が出てきました。
今年の7/16くらいで止まってた。
ひっつけてある万年筆もインクが切れてた。
そういえば、この万年筆、高校卒業の時に皆勤賞かなんかで貰ったんだよなあ。
でもボールペンの方が便利なんだよなあ、いろんなところにガンガンぶつけながら考え事できるから。
シャーペンなら間違えたら消せるからもっと便利。僕は誤字脱字が人一倍多いので、インクだと修正液だらけになるか毛虫だらけになる。


でも、紙日記には万年筆使ってる。
万年筆使ってる人カコイイって皆のイメージ!俺も万年筆使いこなすぜ!的な使い始め。
それから惰性でずっと使ってるだけ。
だけど結局使ってる。
万年筆のいいところって、ずっと使い続けると書きやすくなるとかだったっけ。
その為に書き続けるより、握りやすいボールペンの方がよっぽど書きやすいしストレスもない。
インクは入れにくいし、漏れるし、乱暴に扱えないし。


でも、別の筆記具を使うことで、スイッチを切り替えやすくなっていた気がする。
日頃は色々隠してる事とか、そういうのを全部書き留めておいて、未来の自分がそれを読む。
どちらも同じ自分だから、その間には隠し事は全く無し。まあ、言葉にした時点でそれは嘘か本当か分からないから信用ならないけど。
意識の中では、隠し事は出来ない(あえて看過しなければ)から、とりあえず信頼できるかな、って程度だけど。
無意識とか深層心理とか、自分の意識の範疇外で自分を騙してることもありうるし、敢えて看過したまんまの場合もあるだろうし。


前日のページなんて恥ずかしくて見られなかった。
けど、一か月前のページになると冷静に見られる。その時の記憶が薄れてるから客観的に見れるんだろうね。
何で記憶に新しい時の自分の思考が恥ずかしいのか、これは今考え中。