昨日の部分の続き

昨日の文章があまりにも脈絡が無さ過ぎたので、上から焦点を絞って整理してみる。自分なりに。
以下自分用の整理だから、見てもあんまり得ないはずよ。


今日は国旗掲揚とか国歌斉唱とか。について。つまりナショナリズム
昨日は思考が暴走してたので、その修正も含め。


ナショナリズム国粋主義とか国家主義とか言ったりする。
この傾向が分かりやすいのはスポーツかな。
オリンピックが代表的で、他にもサッカーやバレーでもニッポンニッポン騒ぎまくるさね。
まあ、昔のナショナリズムとは若干毛色が違うではあるけど、目的は同一だと解してよいかな。
こういうもので、「日本人としての自覚・誇り」を持つようになる。


これに、違和感を持つ人もいるだろう。
何故こうも日本に属していることを強調したがるのかと。
どちらの思想が完全に間違っているとか、そういうのではないのだが、日本人にそういう思想の人が多いのは確かなんじゃないかと思う。
ただ、背景だけは書いてみる。


ナショナリズムの必要性は、国家の持続とも関連がある。
国民が、国家に属しているということを認識しなければ、国家は崩壊する。
理由を端的に述べるならば、国民が社会の構成員の役目を放棄するからだ。
また、各個人のセルフアイデンティティの形成にも、集団への帰属意識は必要不可欠なものであり、その点でもナショナリズムは必要なものである。
語彙や知識が足りず正確には説明できないので、気になれば関連書籍を読んでみて欲しい。
そして、ナショナリズムは時に、個人の意思を滅殺し、全体の利益を至上とする全体主義に利用されることとなる。
例としては、戦前の、イタリアのファシズム、ドイツのナチズム等が挙げられ、日本においても利用されている。
「お国のため」と死んでいったのは、この全体主義のものである。
ただ、一つ誤解しないで欲しいのは、ナショナリズムがこれらを直接生み出した要因ではなく、間に全体主義が入っているということである。
国に属していることを意識し、それを尊重するのと、国を最上とし、自分の身を捨てるのは異なる。


そして、戦後、GHQが入ってくる。
彼らは、日本の全体主義をどうにかして潰したかった。また歯向かわれたら困るしね。
で、戦前の全体主義と、ナショナリズムを、悪の象徴として日本人に印象付けた。
かくして、日本は骨抜きにされた。過去を完全に唾棄するものとして定義され、自分たちの過去を尊重する風潮がほとんどみられない。特に戦時。
自分が日本人であると主張し、日本の元首を敬うということに、つまり集団の代表者に敬意を表することに違和感を覚えるものもいるだろう。
だと思う。多分ですまないんだけど。事実確認はできてないのでね。


ほんで、最近のはまた違う。
なんつーの、ナショナリズムが軽いってのか、とにかくそんな感じ。
いつもはそうでもないのに、スポーツではにっぽんにっぽんとか。
なんか、一貫性が無いというのか。
世間の人々が、「風潮」というものに、かなり流されやすくなっている。
そして、今しか見なくなっている。過去も未来も見ず。
これまでの歴史を看過し、「現在」の判断基準で物を見るようになっている。
だから、「金儲け一筋」の存在が肯定されるようになってきている。とか。
で、みんな、「もうそういう雰囲気さあね」とか思ってる。
憲法改正もそんな感じ。考えの根拠に歴史の重さが無いのが多い。
団体の一成員としての行為が、「自分の責任」じゃなくなってる。
このエネルギーというかイデオロギーが、政治の力で簡単に軌道修正されそうで怖い。


こんな状況で、国旗掲揚で国歌斉唱で統制ってのは、若い人には反発が大きい。
国旗国歌への敬意が規律を取り戻す手段になるとは考えにくいはず。あくまでも「はず」。
でもまあ国旗国歌に敬意を表することは大事なことです。それに反発する教師が多いからこんな事態になるんです。
日本を代表するものにすら敬意を払わない。それで日本の教育制度に乗っかって教育をする。そういう問題はある。
逆に、こういう反発が大きい時に押さえつけるようなことをすると、やれ思想良心の自由なんちゃら言われる。
最近、過激すぎんだよな。なんにしろ。反対派が。
なんか昨日のが語弊ありすぎで反対の意味に取れるようにしかみえんくなってきた。
ここらへんで今日はしゅーりょー。