にんげん

なんか、ちょっと積んだくらいの知識をひけらかして「すげ〜」って言われてて、
ちょっといい気になって自分の哲学なんて披露しちゃったりして、
ほんで、何か疑問を呈すると、それは自分の範疇内ではないから「そりゃあ〜〜〜だろう」みたいな感じで当たり前だろう見たいな雰囲気を作りつつ適当に流すけど納得いかない説明で。
そういうことを続けてるとだんだん窮地に自分ではまり込んでいって、
なのにこちらの応対が悪いような態度でいる人ってのが。はあ。
俺もその部類に入ってしまうのかなあ。もしかしたら今既に。はあ。


大人って、子供を絶対的に下に見てるから、進歩しないのかもしれない。
性別による差別はダメなのに、年齢による差別は根強く残る。
子供だからって平気で嘘ついてたり、辻褄の合わないことをしゃあしゃあとのたくる大人がなんか嫌。
人を馬鹿にするなとは言うけど、無知を逆手にとって馬鹿にするその根性が信じられない。
まあ経験が無いのは大幅に認めるけど。
最近は若手の意見を取り入れようみたいな風潮もあるけど、それと同時にテレビ番組の規制もタガが外れかかってて。
ゴールデンタイムに郷ひろみにエロ本買わせるとか信じらんない。昔もあったのかのう。知らんけど。
なんか、両極端だと思ったりする。みんな。優勢なほうが幅利かせちゃってさ。大衆社会


変なプライド作っちゃってんのね。結局。
何故なんだろう。自己優位の本能なのかな。
自分の考えは正しいもんだと信じ込んで、それが崩れるのを極端に恐れる。
あたかもそれが自分自身のアイデンティティのように。
何が良いとか、何が悪いとか、確固としたものを持たなければ不安なのだろうか。
自分がしっかりとした土台に立っているはずが無いのに、それをしっかりとしていると自己錯覚させることで安心できるのだろうか。
それも人間なのかもしれない。
そしてそんな人たちがいるからこそ今の俺がいる。


たとえどんなひどい批判を受けたとしても、胸を張って生きていけるようなアイデンティティを確立したい。
人間が弱いとされているのは、自分が弱いと甘えられるからだ。
何故一時の苦痛をそれほどまでに拒むのか。
例えこれが意味の無い人生であるとしても、俺は精一杯切り開く。
あ。ニーチェがそんなこと言ってた気がする。超人ってやつか。
まあ理想像を語るのは止めよう。無駄だ。個人によって大きな差がある。


自分の信じるものが全て否定されても構わない。否定される根拠を基にしてまた信じるものが出来るから。
他人に崩されるものなら自分でまず崩してみる。崩したファクターが次の土台。土台があれば積み上げられる。
輪廻の中に何かが見えればそれでいいと思う。その過程を楽しむこともできるだろう。
崩されることを恐れる者よ、崩されてあなたから失われるものは、崩すことであなたが得る、鎖からの自由と新たな見地と、どちらが良いのか。
別に崩せというわけではない。自分がよいと思うほうを選べば良い。
俺は、積極的に崩すほうを選んだ。ただそれだけのこと。