「アジアの子供たち」

今日、文化講演会とやらがあった。タイトルは上記のとおり。
この直前数日に募金箱が各クラス設置されていたの時は、「また例のような募金活動か。『貧しい、だからかわいそう、募金して助けてあげよう』とか、そんな上から下を見るようなもんだろう」と思ってた。
で、講演会がある。
ふーん。どうせインパクトで押し切って終わりじゃねえの?単なる、自己満足の域を出ない活動とかでは?


聞いた後。考えが変わった。いや変えざるを得なかった。変えさせてもらった。
(注・別に宣伝でもなんでもないからさ。)
NPO法人アジアチャイルドサポート
沖縄発の団体だ。
今日は、ここの代表の方に講演をしてもらったわけだが、*1想像と少し違った。
(ここからは上記団体のホームページを見てから読んでもいいかもしれない。)


この人が強調しているのは、アジアの現状だけではなかった。
「それでも、どんな環境でも、生きようとしている。」
写真・映像とともに語りかけられるその言葉は、皆が気圧されるほど真剣で、力強い。
写真の一部は(まあ、)目を背けたくなるであろう*2ものであった。それでも、先生は「目を背けちゃいけない。ここでこうやって頑張って生きてる人がいるんだ」と力説した。


こういうスラムの区域では、外国人は到底立ち入ることが出来ない。入ったら即袋叩きに会うという。最悪、死が待っているのであろう。
まあそういうところにあえて踏み込んでいくのは無謀といえばそうであるが、*3「そこに助けを待っている人がいる」。
そして、これまでに水道施設や学校などを、多くの困難を乗り越えて建設してきたそうだ。
(先生はミャンマー人に似ているからそれが少しだけ回避できた、という話もあった。)


特筆すべきは、この「功績」だけではない。むしろ、この人の精神だ。
この現状から、何かを学んだ。それが、次の言葉に象徴される。
「一番のボランティアは、自分自身が一生懸命に生きること。」
「自分たちが恵まれているというのを受け入れるのはいいことだ。」「すべきことは、恵まれていることに感謝することだ。」


そう。それだ。
自分たちは、それを助けるだけでは駄目だ。それから、何かを学ばなければならない。そして、糧にし、懸命に生きていかなければならない。恵まれていることに感謝して。
大いに共感した。
それが、俺のすべきことだろう。


今回の募金で、井戸を一つ建設する予定らしい。
井戸にはわが校の名前が記載されるらしいが、そんなんは正直俺にとってどうでもいい。
ただ、俺の今の気持ちが、少し形になって、人でも物でもいい、とにかく残っていればいいな、と思った。
精一杯生きている彼らを、少しだけ手助けしてやるのもいいかもしれない、と思い、募金箱に気持ちの分を入れた。

*1:まあここまで書くからには

*2:俺は別に、だったんだけど。

*3:実際何度か痛い目にあってるらしい。程度は分からないが。