わーかほりっく

最近よく、働くようになった時のことを考える。
卒業生さんの話を聞くにつけ、今のような生活とはかけ離れたものになるだろうと予想するのは容易だし、
忙しい中に暇を見つけて遊ぶ、っていう、今からしたらあまりピンと来ない状況になる。
自分は仕事大好き人間になりそうではあるけど、それでも娯楽をいくつか持っておきたい。
なんというか、必要に駆られないけど熱中するものが欲しい。何故だかはちゃんと説明するのは難しいけど、語弊を恐れずに言うなら「人生が仕事しかない」と思われたくないということだろうか。


今は暇だからやりたいことを同時並行で5つも6つもできるけど、忙しくなったらそんな多くは出来ないわけで、
今でも多少やりたいことを諦めてるのに、それ以上に削減する必要が出てくるわけで。
そんな切り詰め生活で、満足感が得られるか分からないわけで。
それが不安なわけで。


高校生の時から今まで、未来の自分が納得出来るような生活をしようと決めてて、大体その通りになってる。
未来の自分が、現在の自分の思考能力とか経験値とか性格や志向から鑑みて十分に優れた判断をしているな、と思ってくれるような判断をするようにしているつもり。
自分がしたことだから、バイアスがかかって努力分以上の評価をしてしまうだろうけど、なるべく客観的に判断することは普段から心がけているつもり。たまには主観で物を言う練習をしておかないと説得力(笑)のある発言とか自己主張がしづらくなるのだけれど。


過去の自分には、まあそこそこ上手くやったな、と労うくらいは出来るし、今は過去の自分より賢いはずだから過去以上に賢い生き方が出来るはず。
なんだけど、その展望が最近は見えづらくなってる。
自分の価値基準や判断能力も上昇してきて、自分が納得するように形作るのが難しくなってるんだろうな。
無論妥協は出来ないし、今出来うる範囲内でそこそこ良い判断をしようと思ってる。


何を諦め、何を選ぶか、その選択の結果がすぐに分からないから難しい。
とりあえず、そろそろニコニコやYouTubeで時間をつぶすのを止めようかな。
そこそこ面白いけど、無くてもいい。あまり記憶に残らないから一週間おきに二・三度見てしまって、余計に時間を食う。
やりたいことをやるのと、目に止まったものをただ惰性と共にやるのは違うはず。
楽で楽しいこと以外のものへの価値の見出し方がここ数ヶ月の課題になりそうだ。