自己懐疑

疑う事自体を疑うメカニズムについて考えると、思考が停止しがちになるのは何故なんだろう。


疑うというのはそれ一つで定義存在しうるものなのか、それとも「他の事を信じる」の言い換えとして存在しているのか。


「ある事」を信じる時には、それが過去に経験されたもの、もしくはそれから類推されるものであると考えられる。
信じるという行為は、脳内で構成された仮想現実を実体現実と重ね合わせるものだとしたら、人間は脳内にシミュレータを構築しているのだろうか。
まあ、何かしらの行動を起こす時は脳内でまず理想現実を構成してから行動している訳だし。


んあー、やっぱ後者なのかなあ。